『染、色』に染められて【考察・感想】
自担であるAぇ! groupの正門良規くんが初めて単独主演を務めることになった舞台『染、色』が本日大千穐楽を迎えました。
昨年3/14に発表された今作品は新型コロナウイルスの感染拡大で中止となってしまいましたが、その後12月に復活公演の発表があり晴れて一年越しの開幕が決定。
まずは正門くん含め出演者の皆さん、スタッフの皆さん、俺ら、本当にお疲れ様でした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
何事もなく終わって良かった、本当に。
見終えた感想としては、
「疲れた......なんか凄いものを観た気がする............」
でした。毎回これ。語彙どこいった?
観劇後に感想をつらつら並べられるほど脳が発達してなかったので人生で初めて国語の勉強の大切さを痛感したところです(今?)。
初日から5日間くらいストーリーのレポがほとんど流れてこなかったのも、きっとみんなこの物語をどうにか反芻しようと頑張っていたんだろうな......と思うと納得。
今回は正解の導き出せない『染、色』を考察しながら自分に言い聞かせるためだけのブログを書きました。10,000字超えてます。もう一度言います、10,000字です。
長文を読む気持ちと時間がある人だけ、下にスクロールしていただけると。(笑)
ワンクッション
舞台『染、色』あらすじ
美大で油絵を学ぶ深馬は、同じく美大に通う北見、原田と共に教師・滝川の部屋で創作活動を行いながら大学生活を送っている。
深馬は両親の勧めで幼少期から美術教育を受け、首席で美大に現役合格。それだけでなく杏奈という健気で可愛らしい彼女も持つ深馬は周りから一目置かれる存在だった。
しかし、大学4年生になった深馬は絵を描くこと自体にスランプを感じ、先が見えなくなりだしていた。
そんな深馬には大学最後の展覧会を機に不思議な現象が起こり始める。何者かによって作品に手が加えられるようになったのだ。キャンバスに書いた作品、河川敷の壁に書いた落書き、全てが誰かに描き足され、しかもそれは深馬が想像していた「完成形」となっているのであった。
後に出会うのが真未である。深馬の絵に手を加えて完成させていたのは他でもなく真未だった。深馬は彼女に出会ってから「自分の思い描く理想」を描けるようになり、再び絵を描くことに喜びや楽しさを感じ始めるようになる。
深馬と真未が2人きりで行っていたのは壁に絵を描く合作のグラフィックアート。大学近くで多発する作者不明のアートは瞬く間に話題となり、それらの絵にタギングされている6本指の手形から「ポリダクトリー」と呼ばれるようになった。
ポリダクトリーとしての活動に没頭した深馬は、作風も性格も「変わった」と言われるようになった。さらにこの頃、深馬が作品展に出す予定だった絵が何者かによって壊されてしまう。
ある日、ポリダクトリーの偽物が現れたという情報を得た深馬は真未と共に犯人を探し始める。捜索の中で深馬が以前真未と壁に絵を描いた場所を訪れると、そこにはタギングを上書きする滝川の姿が。
滝川は深馬が憎かったと打ち明けた。自分の努力しても届かないところに簡単に辿り着く深馬を妬んでいたと。深馬は自分の作品を壊した犯人も滝川なのではないかと疑ったが、原田が決定的な証拠(動画)を所持していたことで新しい事実が判明する。
作品を壊したのは真未だった。思いもよらぬ展開に深馬は真未を問いただすが、彼女は「自分のしたことは当然の結果」の一点張り。深馬は真未から逃げ出したが、その途中で倒れてしまう。
入院してから深馬は絵を描くことから離れるようになる。しばらく杏奈の側で過ごし、真未の存在はほとんど思い出さないようになっていった。
卒業の春を迎え、深馬は北見、原田と居酒屋で酒を酌み交わす。就職を控えた2人とは異なり、深馬は留年が決定していた。そこで深馬がポリダクトリーが自分であったことや滝川の話をしたが、2人は心当たりのないような顔を浮かべる。2人曰く「ポリダクトリー」は有名アーティストの活動の一環だったというのである。不審に思った深馬は原田に絵を壊す真未を映した動画を見せるよう言った。
そこに映っていたのは紛れもなく深馬の姿だった。深馬はその事実を受け止められず、真未との思い出を辿り始める。
これ、あらすじ?
クソ長い。
書いていて自分で訳が分からなくなってきました。
原作『染色』(『傘をもたない蟻たちは』/ 著:加藤シゲアキ 収録)とは役名も含め物語にかなり変更点が見受けられました。
主な登場人物は主人公の深馬、同じ大学の学生である北見、原田と教師の滝川、彼女の杏奈、そして真未の6人で構成されており、ストーリーは大学周辺を中心に動き続けます。
箇条書きのようになってしまいお粗末かとは思いますが、私なりの考察を以下に並べさせていただきます。
(フォロワーと3時間スペースで語ったり寝る前に1時間かけて時系列を並べたりしてガチガチに固めたので私の中の考察はかなり固まってはいますが、なんせ舞台自体の表現が曖昧なので後に改訂することがあったらすみません)
・深馬という人間と“秋の桜”
深馬は「秋に間違えて咲いちゃった桜は次の春にも咲けるの?」と北見に問います。
これは深馬自身のことを表しているというのは私たちだけでなく北見や原田も理解していたように思います。
運良く美大に首席合格してしまったせいで周囲から自分の力以上の期待をされた深馬は、また周りに期待されるような絵をかけるのか?という疑問から出た質問なんだろうと思いました。
北見のポジティブさや真未の尋常じゃないパワーを目の当たりにして自分に自信がなくなってしまったんじゃないかな?と。
深馬はあまり気が強くないため、大きな期待をストレスに感じてやる気や熱意を殻に閉じ込めてしまったようにも受け取れました。
また、深馬は何かに縋っていないとダメな人なんだろうと思います。幼少期からは絵に、大学に入ってからは今までの経歴と美大首席合格という名声に、真未に、そして杏奈に。
嫌な話ですが、縋るものがあれば相手は誰だっていいんじゃないかとまで思ってしまいます。
散々今までの持て囃されぶりを自慢した後「普通だね、深馬の生い立ちは」と真未に言われた時の深馬は不意を食らったような表情を浮かべますが、人に縋ってる割にはプライド高いんだろうな......と頭を抱えました。いけ好かない。
過去も今も、誰にも認められなくなってしまった深馬は心から枯れてしまっていたのでは。
あと秋の桜シーンといえば北見のおばあちゃんモノマネ。みんなあれちゃんと習得した?
・深馬と真未の関係
結論から言うと、真未は深馬の中に存在する別人格であるという考えに至りました。いわゆる“多重人格”。
真未がしてきたことは全て深馬の行動であった、という事実が劇後半で判明します。つまり、深馬が見ていた““真未””は自分自身を映し出した形であるということです。
北見が「深馬は大学3年生頃から変わった」と話しているシーンがありましたが、その頃に人格が二つに分かれたのではないかと。
私の中で、本来の深馬は真未の性格に近かったのではないかと思っています。「深馬の別人格が真未」なのではなく、「真未が本来の姿で分離した人格が深馬」という感じ。
作品作りに熱を向けることができた、迸るような何かがあった大学2年生までは“真未の人格”が強く、大学3年生以降は先が見えず作品作りへの力が湧いてこない“深馬の人格”が顔を出すようになってしまったのではないでしょうか。
解離性障害の解説としてこちらの文を参照。
特定の場面や時間の記憶が抜け落ちたり(健忘=けんぼう)、過酷な記憶や感情が突然目の前の現実のようによみがえって体験したり(フラッシュバック)、自分の身体から抜け出して離れた場所から自分の身体を見ている感じに陥ったり(体外離脱体験)します。
眠っている間に自分の中に存在する“深馬”と“真未”を対峙させていたのかもしれないし、深馬には真未が本当に視えていたのかもしれない。その辺は深馬とシゲアキさんのみぞ知るというところですが。
実際に2人が「何だっていい、面白ければ」という感覚を共通で持っていることも2人が同一人物であることを証明する一つの点になっているのかなと思います。
真未は深馬に何度も「私が深馬の自由になってあげる」「君は何にだってなれるんだよ」と投げかけます。
深馬が真未の持つ気持ちを取り戻せば、また絵を描くことに意味を見出せると伝えたかったのかもしれません。
その他に名前の観点から見ると、深馬(みうま)と真未(まみ)は「マ行ばっかりだね」と笑っていた真未から見て取れるように舞台化を機にわざと似せたのではないかと考えられます。原作は全く違う名前なのでストーリーに寄せたか、役名に合わせてストーリーを変えたか。
また真未が“真”の“未”来を示しているという説もあります。劇中で真未は「深馬の思い通りにしてあげる」と伝えます。深馬の理想の絵を描けるのも真未、深馬が心のどこかで望んでいることをやってのけるのも真未。
深馬を全ての終わりへ導いていたのが真未であるとするならば、真の未来を映し出しているといってもおかしくないと考えられます。
これは正直ストーリーの考察というか私の予想になってしまうのですが、深馬が仮に真未から離れられないままずっと一緒にいたとしたら、2人はお互いに依存し合って最後には死んでしまうのではないかとさえ思いました。それくらいこの関係は危うくて脆いという。
「どうやっても自分の最期は見られない。自分の死体」といったニュアンスの真未の言葉から、この先真未は深馬を自死に追いやった挙句、“自分の死体”を見届けるのではないか。
花は散るから美しいと言うけど、散ることが恐ろしい人もいる。この先2つの人格の価値観の違いが交差したときに、2人はどうなってしまうのかと思ったりしました。
私の勝手な想像です、ごめん^_^
・北見と原田、深馬
深馬と並ぶほどの成績で美大に入学した北見もまた、製作に行き詰まっていたのではないかと思いました。最後の展覧会が終わってから作っていた作品、展覧会前に作っていたものと大差ないのは見て分かったかと。北見は発想が凝り固まっている自覚がないのか人に話さないだけなのか......
また、北見と深馬はお互いに「すごいやつ」と思っていたんじゃないかと。妬みや衝突はあれどお互いに尊敬し合って良い関係を築けていたんだろうな、なんて思ったりしました。
ただ、北見は中途半端だと真未に言われたことを考えると深馬の中に「北見は自分より下」という気持ちも少なからずあったのでは。人間、怖......。
原田に関しては、杏奈に「3人はどうやって仲良くなったの?」と聞かれた時の浮かない顔も、「人気者と仲良くなれば周りの自分を見る目が変わる」と話す時の切ない顔も、最初は仲良くなりたくて近づいたわけじゃなかったんだろうか?滝川の近くにいる手段として2人を選んだのではないか?と思ってしまいました。
原田が滝川の話を深馬に話すシーンが仮に深馬の幻想であったとしても、原田が滝川に助けられてここにいることは本当なんだろうと思います。
冒頭で「好きな人と2ヶ月も会えなかったら俺もう......オールバックにする」と言っていた原田が滝川と会えなくなった後スーツにオールバックしてるの、本当に切ない。
・杏奈が杏奈たる理由
『染、色』イチの可哀想ポジ・杏奈。
深馬が浮気をしているかもしれないという疑いが生まれても、内定を貰った報告をおざなりにされても、家に来てまでして絵に没頭されても、それでも深馬の側に居続ける杏奈は何なの?私だったら別れる💢と思っていましたが、きっと彼女は深馬に依存しているんだろうという答えに落ち着きました。
杏奈は冒頭で大学に気の合う友達がいないと打ち明けており、後の面接シーンでは母子家庭であることが明かされます。
存在を認めてくれた深馬の隣が自分の居場所だと思った、深馬の隣にいられればそれだけで良いと思ったのでは。自分から思う存分尽くしてあまり見返りは求めていなかったんじゃないかと思います。
だからこそ杏奈の家のシーンで不自然に優しくなった深馬に不信感を抱いたり、公園のシーンで距離を詰めて座ってくる北見に怪訝な表情を浮かべていたりしたのではないでしょうか。“他人から愛を向けられること”に慣れていないのかも。
・滝川先生とロランスあかり
一番考えたくない人たち............(おい)
私たちがこの話を難しいと思う原因は全部この人たちのせいなんじゃないかと思うくらい謎が深い2人です。
本来の滝川はポリダクトリーの役目を奪った方ではなく、夢を追ってフランスに行った方だと思うんです。悪い人じゃないと思うので...好きではないけど.......
アドバイスを求められたときに余計な影響を与えたくないと言って口出ししなかったり、詩をモチーフにした本を手渡して解釈を委ねたり、滝川は深馬に直接的な影響を与える人ではありません。もしくは影響を及ぼせるほど自分に力はないと悟っていたのかもしれない。
つまり、深馬が見た「ポリダクトリーを乗っ取る滝川」と「夢を諦め切れずフランスに飛び立った滝川」はどちらが本物、というよりかは別物のように見えて芯の部分は同じなのかも?という理解に辿り着きました。←精一杯の結論
ロランスあかりの作品展に招待されたくだりも、深馬の“こうであってほしい”が幻想として現れてしまっただけなのではないかと解釈するしか私には手がありません。町おこしの一環でポリダクトリーを行っていたなんて言われたら、ねえ?
ロランスあかりに関しては認知レベルが杏奈なので北見と原田にちゃんと教えてほしいところ。
・真未の部屋
あれは結局どこやったん?(考察の放棄)
・『染、色』と“色”
タイトルにもあるように“色”が物語に深く関わっているというのは割とみんな考えていることなのではないでしょうか。
まず、服の色。
真未の衣装は基本的に黒ジャンパー。それに対して深馬の衣装は、【白Tシャツに白エプロン→ベージュのシャツ→黒のシャツ→グレーのパーカー→ベージュのシャツ】という流れで推移していきます。
そこまで単純ではないかと思いますが、この話の中で深馬の人格を白、真未の人格を黒と捉えるとかなり分かりやすくなったかなと思います。
悩みを抱えながら美大で創作を行っている深馬は無色に近いベージュ、真未に出会って絵を描くことに没頭している間は黒、現実と幻想の間にいる間はグレー、絵を描くことから離れた深馬はベージュに戻る......
といったように、絵を描くことに対する意欲・熱意のある真未人格が強い時ほど深馬は「黒」に「染まって」いくのです。
また、別の観点として真未は他人に対する執着がないように感じました。2ヶ月会っていないにも関わらずずるずると続けていた杏奈との恋人関係や、お互いに利益のない北見との関係を真未はあっさり打ち切ろうとします。中盤から終盤に向けて北見へ攻撃的なことを言ったり、杏奈に別れを切り出そうとしたのは真未の人格によるものだったのではないかと思います。
さらに、ラストシーンでは真っ白なドレスを見に纏った真未がステージ後方に現れます。それは深馬の中に真未が昇華され、消化もされてしまった姿だったのかもしれないと考えました。
次に、腕についた色。
冒頭、杏奈がぶつかって床に落ちそうになったキャンバスを深馬が慌てて掬い、腕に作品の色が付いてしまうシーンがあります。そこから深馬は感情を大きく出すようになり、真未が見えるようになり、いずれ絵を描くことの楽しさを思い出すようになります。
真未は腕にスプレーを振りかける癖があり深馬はそれを不思議そうに見ていましたが、あれこそ真未のアイデンティティだったのではないかと。
つまり、深馬は腕に色をつけることで自分の中の真未を起こしていたのです。
中盤から深馬も腕にスプレーを振りかけるようになりますが(真未と融合しはじめた?)、終盤で自らその色を拭き取ります。そこから深馬は真未の存在が見えなくなってしまうので、やはり彼女が現れる手がかりは腕についた色にあるのではないかと思いました。
・その他、諸々思ったこと
・真未が現れてからいなくなるまでの間すべて、深馬がアルコール依存症で見た幻覚なのではないか?
・もしくは普段からスプレーを持ち歩いていることから今までも使用していたと考えられる。よってシンナー中毒の可能性も?
→シンナーが及ぼす影響に「意識の消失」「脳が麻痺し、お酒に酔ったような感覚に」「感情のコントロールが不可」「ちょっとしたことで攻撃的になる」というものがある。
・結局深馬と真未が繋がってたのも深馬の自慰行為でしかなかったんだろうと思う。終盤シーンの流れも汲むと、性的なものではなく自分の存在証明的な行為のように見て取れる。
・杏奈の「別れるために付き合ってたのかな?」というセリフが「終わらせるために絵を描く」真未の感覚と重なる
・病室のシーンは夢なのではないか
→なんか不自然に明るくないですか?あのシーン
・解離性同一症もしくはアルコール依存症によって精神病棟に入院していて、退院後はリハビリも兼ねて杏奈と暮らしていたのでは(居酒屋シーンの「まだダメみたいだな」のシーンは精神面への発言?)
・北見だけバカでけえ生ジョッキなの推せる
考察もどきはこんな感じですかね、長々とごめんなさい。異論は認めます!!!!!!
ここからはシンプルに感想↓
正門くん、演技いつの間にそこのレベルまでいってたん?が一番の感想。めちゃくちゃ怖かった。
深馬ってよく分からないじゃないですか。杏奈のこと気に留めないし、急に怒り出したと思ったら次の瞬間には弱々しくなるし、変にプライド高そうだし。でも、その“よく分からない”をそのまま役に落とし込めるのがすごいなあと感じました。
正門くんは深馬に対して「自分とは共通点がない」と言っていましたが(それはそう)、そんな掴みどころがない深馬を完全に自分のものにしているところがすごかった。
何がすごいって、正門くんに会った気がしないんですよ。
2時間10分も正門くんを観ていたはずなのに舞台に立っていたのはどう考えても『深馬』だったから。
個人的に私は正門くんの小さな感情の揺れ動きまで表す目の演技が好きなので、大学で友人とふざけ合う目も、彼女をじっと見つめる目も、闇に堕ちたような目も、たくさんの場面で見ることができて良かったなと。
これは以前ツイッターでも呟いたんですが、深馬って喜びも怒りも愛おしさも呆れも全部“笑い”で表現するんです。似たような笑い方でも小さな変化で感情を表すことができる正門くんに目の使い方と同じものを感じて、プロなんだなあとしみじみしてしまいました。
まいジャニの大根役者で止まってんのよ、記憶が。(笑)
いきなりなんですけど個人的に今回の舞台で好きだった表情発表していいですか?
3位はグラフィックアートを描く時の心から楽しんでいるような表情、2位が「杏奈、今から会えないかな」の情けない表情、1位が終盤でポリダクトリーのタギングに手を重ねて安堵する表情です。
ふとした仕草や表情の人間らしさが深馬と正門くんを唯一結びつける点だったのでは?と思っています。
深馬は「嬉しい」「楽しい」を大きく表現する人ではないように思いましたが、それを汲み取って感情の機敏を細やかに魅せてくれるのが素敵だったし、正門くんの強みでもあるなあと感じました。
一体どれだけこの物語を研究したんだろうと。正門くんのことだから隅々まで考えた上のあの演技だったんだろうなと思います。
それとここ最近の正門くんの経験を通じて、“一年越しに上演した意味”がさらに増したんじゃないかと感じています。これが一番強い。
この一年、ドラマの仕事に加えグレショーが始まるという大きな分岐点を迎えました。きっと、この経験をする前と今とでは『染、色』自体が全く違うものになっていたんだろうと思うとぞわっとしますね。人生は全てタイミング。
染、色での主演とグレショーでの別作品の主演、その他の仕事を同時進行で1ヶ月間突っ走った正門くん、本当にお疲れ様でした。
公演後は毎回疲れてぐったりだったので今振り返っての感想になってしまいますが、あの舞台をやり遂げた正門くんに対しての感情は「私の自担、すご......」に尽きますね。私の自担、すご......
あとは、共演者の皆さんにただただ圧倒されました。
実年齢は学生組の中で一番高いのに一番大学生感がある明るくて人生楽しそうな北見、柔らかくて優しい雰囲気を纏った原田、可愛らしさが裏目に出て女子ウケあんまり良くなさそうなとこがリアルな杏奈、すぐでっかい声出すからめちゃくちゃ嫌いになりそうだった滝川、感情の表現で会場内を飲み込んでしまう真未。
染、色の世界にいる人がそこに“いた”んですよね......
劇中に何度も息が止まりそうになったのも、考え込んで頭が痛くなったのも、全部全部俳優さんの力がすごかったんだなあと痛感しています。
ジャニーズのファンということもあってジャニーズのタレントがメインで出演している舞台を見る機会が多いので、ステージに立っているほとんどが外部の方であることが新鮮で私もまた一つ経験させていただいたなという気持ちです。
個人的に、正門くんが他の事務所の方と仲良くしているのを間接的に知れる機会ってなかなかないのでその点でも良いな〜と思いましたね。
みんなにのど飴配ってる正門くんも、寝顔撮られまくってる原田も、寝顔撮りまくってる北見も、全員可愛い。
あと、座長の裏側エピSNSに載せてくれてLOVE。
そして何より、この作品の原点である加藤シゲアキさん。
突如「思慮深い子です」とスタッフさんに紹介されたほぼ見ず知らずの正門くんを主役に抜擢してくれてありがとうございました。
正門くんが深馬として舞台に立てたことがとても誇りだし、正門くん本人にとっても大きなステータスになるに違いないと思っています。Jr.という立場で先輩の作品を背負って座長を務めることは簡単にできることじゃないとこの期間にひしひし感じたので。
初めて座長を務める正門くんに対して良い意味で手加減せず、体当たりでぶつかってくれたような言葉を聞いて大きな愛を感じました。
たくさんの意味が込められた素敵な暖簾も、私が貰ったわけじゃないのにすごく嬉しかったです。
あと、こんなこと私が言っていいのか分からないけど、物語の途中で今シゲ乗り移った?みたいな瞬間が何回かあってゾッとしましたね。
きっとこの出会いも何かのご縁、これからも正門くんを可愛がってください(誰?)
大千穐楽が終わってから、この物語に関わる全ての人のおかげで『染、色』が『染、色』として成り立っていたんだなと改めて感じています。
誰一人欠けず最後まで走り切れて良かった!
正門くんが一人で座長として立つ初めての舞台がこの『染、色』で本当に良かった!
1ヶ月間、本当にお疲れ様でした。
素敵な時間を私たちに届けてくれて、ありがとうございました💐
最後に。
真未の「理解できない感覚が気持ちいいだけ。酔っ払ってんのよ。」って台詞......シゲアキさん、私らに言ってる?